すばるのあとぼし#06
寺は村の外れ、また別の山を登った中腹にある。昌浩と物の怪は途中まで墓のあった山を下ると、村への往路のときのように巨大な変化をした物の怪の背に乗って、村人に見つからないようぐるりと遠回りをして寺へと入りこんだ。
ただ、住職や坊主たちが正気である保証はない。もし妖に操られていたらと思うと、物の怪は直接話をする気にはなれなかった。そう伝えると昌浩は黙して考えこんだが、やはり首を横に振った。とりあえずは、一人になっているものを探す。もし話をできる状況でない場合は神社へ向かい、そこでも収穫が見込めない場合は夜を待って探す。そういう話になった。
けっして大きな寺ではないから、坊主の数は少ない。住職含めて十人程度だ。それでも、一人きりで動いているような者はいなかった。身動きが取れずに時間ばかりが過ぎていく。
と、寺の奥から袈裟を着た男が出てきた。住職だ。高欄に寄りかかって、ぼんやりと物思いに耽っている。
物の怪が昌浩を見上げて目配せすると、彼はすぐに頷いた。
住職は晴明と仲の良い人間の一人だった。物の怪とも面識がある。昌浩もよく可愛がられたもので、彼なら協力をしてくれそうな予感がした。だが、万が一の可能性は否定できない。また住職が正常でも、他の坊主どもが操られていたら意味がない。
物の怪は茂みから顔を出すと素早く駆け下りた。まっすぐ住職の元へ走り寄っていく。こっそり伺っていると、住職は物の怪と二言三言交わし、すぐに階段に向かっているのが見えた。彼は懐から草履を取りだし、周囲を注意深く見回してから、ただの散歩といった風情でゆっくりと歩きだす。物の怪は石灯籠から石灯籠へ身を隠しながら、住職を導いていた。
山道をしばらく登ってから横に逸れてもらう。落ち葉を蹴ちらしながら昌浩の隠れ場所に進んでくる物の怪の後ろから、足早に住職が付いてきた。
「和尚様!」
「おお、昌浩殿……!」
住職は五十を数えたばかりの恰幅の良い男だ。声を抑えつつもほっとして叫んでしまうと、住職も瞳を潤ませ、両手を広げた。
「無事でしたか……! いや、よかった、よかった……」
「はい、なんとか」
抱きしめられ、背中を叩かれる。――この人は正気なのだ。不意に鼻の奥がつんと痛んだが、昌浩は堪えて顔を上げた。
「すぐに顔を出せなくてすみません。……その、追われていたものですから」
「ええ、存じておりますとも。それでよかったのです。こちらにも、村人が来ておりましたからね。無事逃げおおされ助力を得るほうがよろしかったのですよ」
目尻に光るものを拭いながら、住職が昌浩を安心させるよう力強く頷く。
「とにかくなにもわからないものですから、質問をしてもよろしいですか?」
「もちろんです」
「あの、」躊躇ってから、昌浩は意を決して訊いた。
「じい様たちがどこにいるのかご存じですか」
住職の腕が強ばった。眼差しが固くなっていく。一度目をきつく閉じると、住職は片膝をついて昌浩に視線を合わせた。
その態度で、昌浩にはおおよその見当がついていた。
「……取り乱さないでいただきたい」
「大丈夫です。わかっていますから」
昌浩の覚悟を知ったのだろう。住職は深く息を吸った。真剣な眼差しで、口を開く。一語一句聞き逃すまいと、昌浩は目を伏せ、声に集中した。
「――晴明様始め、吉平様、吉昌様、成親様、昌親様、奥方様やお従兄弟様に至るまで、ご家族とご親戚全員をこちらで安置させていただいております」
握りしめていた拳が震えた。
独りでに心臓が走りだす。自身もその場から駆けだしたくなった。だがその欲求をなんとか耐えきり、昌浩は続きを聞いた。
「ご無事な方は一人もいらっしゃいませんでした。ご遺体は焼け跡から運び出し、湯灌まではすませています。ただ、ご遺体の数に比べて人手が少なく――通夜もできないありさまで。夏場だというのに」
「いえ、そこまでしていただいただけでも」
「そんなことはありません。あの夜、村の者たちを止めきれず皆様を救えなかった私の、これは罪滅ぼしなのです。ですから、なにとぞお気になさるな。……まったくもって、申し訳ない」
深々と住職が頭を下げる。その肩に触れながら、昌浩は首を振った。
「いいんです、そのお気持ちだけで。家族も浮かばれます」
住職は顔を上げ、もう一度、申し訳ないと呟いた。
「あの夜は村の皆すべてがおかしかった。年若い者から老人まで。私たち寺の者と、神社にいた者だけが正気を得ていました。なぜか憎悪を募らせた彼らが殺生を行っていくのを止められず、火も消せなかったのです。……我々が無事だったのは御仏の導きか……それとも、晴明様から頂いたこの数珠のおかげでしょうか」
住職は袂から翡翠でできた数珠を取り出した。
翡翠は魔除けだ。晴明自らが渡したというその数珠は、普通の数珠よりもずっと清浄な波動を発している。昌浩はちらりと寺の方角を見やった。――ごく微弱だが、結界が張られているようだ。あの結界が、妖の洗脳からこの人たちを守ったのだろう。
と、数珠に目線を落としていた住職は、突然何かを思いだしたようにはっとした。「そうだ。昌浩殿、それと」言ってから、思ったよりも大きく響いた声に肩を窄める。村の者が聞いていないかと周囲を見回してから、彼は声を落として囁いた。
「大事なことを言い忘れていました。ご遺体の傷なのですが、多くの方に獣の噛み傷が。犬のものではありません」
昌浩は物の怪と顔を見合わせた。獣の噛み傷。間違いない、あの妖どもだ。
「決まりだな」
物の怪がぼそりと呟いた。昌浩もまた頷く。彼は住職へ向き直ると、深く礼をした。
「和尚様、重ね重ね申し訳ありません。やることができました。またすぐこちらに伺いますが、返礼はそのときに差し上げます」
「返礼など。急がなくともよいのですよ」
「いえ、俺はじい様から家督を継ぎました。安倍の当主として、礼を差し上げねばなりません」
「……そうですか」
住職は肩を落としたが、すぐ微笑した。
「では、どうかこの数珠をお持ちください。晴明様の形見になられるのですから」
「そんな、」
昌浩は驚いて、数珠を持つ住職の両手を押し戻した。翡翠の数珠など、とても高価なものなのだ。それに、一度祖父が渡したものを頂くわけにはいかない。一本杉の山には祖父の書き写した写本や呪具がまだたくさんあるし、あれだって形見と言えば形見になるだろう。
ところが住職は頑として譲らなかった。固辞しても無言で差し出される。ほとほと困ったあげくに昌浩は妥協して、後ほど礼に伺うまでは担保として取っておいてくれ、と言いだすしかなかった。
「……あいつ、いい奴だなあ」
その場を辞して去るときも、住職は名残惜しげに手を振って見送ってくれた。物の怪が感心したように振り返りながら、ぴょんぴょんと山道を登っていく。
「晴明につきあって茶をしばくときに何回か会ったけどな。霊感は零(ぜろ)だが気持ちのいい奴だった。変わってなくてよかったよ」
「うん」
昌浩は物の怪の尻尾を追いながら、ふと考えた。
変わらない者もいる。反対に、変わってしまう者もいる。一昨日を境に昌浩の周囲は目まぐるしく変貌した。その中心にいる自分も変わってしまうのか、それとも、もう変わってしまっているんだろうか。
まだ変わっていないと信じていたい。もういない祖父、もういない家族が知っていた、安倍昌浩という人間。どんなに年を経ても、記憶の中の家族が覚えているであろう自分でいたかった。そうすれば、失った家族に寄り添える気がした。
でも、たとえ、歪んだとしても。
きっと目の前をゆく白い物の怪はすぐに気づいて、直してくれるのだろう。
尋ねて答えを得たわけでも、根拠があって判断したわけでもない。理由のない確信。ただの勘。だが、昌浩にとっては北辰にも似た、揺るぎない道標(みちしるべ)だった。
正午を回る頃、昌浩と物の怪は妖を見つけたあの山に戻っていた。陰形の術をかけ、気づかれないようにそっと木々を掻き分けていく。妖の塒となっていたあの墓へ近づいていくと幾人もの声が聞こえ、二人は顔を見合わせた。
そっと伺うと、村の男衆が十人ばかり集まって墓の中を覗いている。先頭に立って喚いているのは、昌浩を見つけたあの男だった。
「あいつらがやったんだ!」男が青い顔をして、震えながら墓を指している。「妖術使いめ、親切そうな顔して、裏では鬼に人を食べさせてたんだ! 俺は見たんだぞ、恐ろしい鬼と一緒にあのガキがここに立っているのを!」
案の定、悪い方向に解釈している。男たちは皆、その青年に同調しているようだった。舌打ちをして物の怪は昌浩を振り返った。昌浩が怒りに震えているか、泣いているかと思ったのだ。
が、物の怪の予想は裏切られた。
昌浩は能面のような無表情をして、ただ彼らを眺めていた。怒りも悲しみも感じられない。感情が一切廃された、氷のような面(おもて)をしていた。
「いこう、もっくん」
それだけ言って、山を下りだす。物の怪は急いで足下に追いつくと、ひょいと跳んでその肩に乗った。
「……お前、悔しくないのか?」
「なんで?」
「その……あんなふうに言われて」
「悔しいよ」
内容とは正反対の冷たい声がすぐに答えを返してくる。返答に詰まって、物の怪はその幼い顔を覗きこんだ。
「悔しいけど、あの人たちに言ったってなんにもならない。今俺がなにを言ってもあの人たちには伝わらない。それなら言わない。怒るべきはあの人たちじゃなくて、あの妖たちとあそこに残ってた俺だよ」
淡々と昌浩は続けた。
どうやらこの子どもは、怒り心頭になればなるほど表情が消えていく性質のようらしい。冷静に見えて、心中はさぞかし荒れているのだろう。感情を制御し理性を優先するため、まずは表面を凪いでいるのだ。
そういえば、晴明も昔は同じような感じだった。あれはぴりぴりとした空気を撒き散らして式神たちを恐れさせていたけれど、昌浩はひたすらに冷たい。怒ったときの得体の知れない度で言えば孫の方に軍配が上がるな、と密かに物の怪は冷や汗をかいた。
十分に山を下り、周囲に人の気配がないことを確認する。昌浩が陰形の術を解くと、物の怪は昌浩の肩から飛び降りた。二本足で立ち上がって、空気中の妖の臭いを嗅ぐ。一度辿った臭いを見つけだすのは簡単だった。妖は影から影へわたって場所を特定しにくくしたようだが、所詮は浅知恵。手負いの血の臭いは隠しきれず、山の中で吹き溜まっている。
物の怪が臭いを正確に辿っていった先は、昼でも鬱蒼として昏い谷底だった。水気と暗闇に満ち、妖にとって都合の良い隠れ家と言える。腐った血の臭いがそこかしこから湧き出ていた。見れば、至る所にあの黒い粘液がべたべたと塗りたくられている。
物の怪が渓流の側で足を止め、瞬き一つの間で変化した。赤光とともに長身の人影が現れ、灼熱の闘気が炎と化して具現化する。紅蓮は昌浩を背に庇うと、鋭い金眼で周囲の影を一瞥した。
「……臭いな」
形の良い唇から犬歯を見せて笑う。人の気配はない。思う存分暴れることができそうだった。
「隠れていないで姿を見せろ。それとも貴様らは、尻尾を巻いて逃げるだけの駄犬か」
罵るや、彼は両腕を薙ぎ払った。
青目の妖を退けたときとは比べ物にならない量の炎蛇が空中に召喚される。その数、数十。燃え盛る顎(あぎと)がぐわりと開いた途端、炎蛇は召喚主の意思に従って一帯を蹂躙した。
熱風が樹木を煽り焼き尽くす。流れていた川が一瞬にして蒸発する。もうもうたる水蒸気が視界を白く染めるが、紅蓮の闘気がそれを弾き上空へと押し流した。視界が回復した頃には、紅蓮と昌浩の周囲、半径二丈ほどの空間が炎の結界に切り取られ隔絶に陥っている。
焼け落ちて残った幹が、炎の灯りに照らされて僅かな影を作った。
刹那、その影から赤と青の眼光を走らせ妖が飛び出した。
昌浩の背後から疾風の速さで妖が襲い来る。紅蓮は咄嗟に昌浩の肩を掴んで立ち位置を入れ替えると、右手に再度炎蛇を召喚した。とぐろを巻いた蛇は鎌首をもたげ、一瞬にして赤目の妖の喉笛に喰らいつこうとした。だがそれより早く、青目の妖が蛇を掻い潜って昌浩に辿り着く。足を狙った黄色い牙の列が、紅蓮の対応できない速さで開いて涎を垂れ流す。
――昌浩は、その時を待っていた。
抜いていた懐剣の切っ先で傷つけた左の五本の指。そこから滴り落ちる鮮血が青目の顔にかかる。妖は驚いて飛び退き――無意識に、その血を舐めとった。
びくりと、その体が痙攣する。効果はすぐに現れた。
妖は手足を突っ張らせ、泡を吹きながらのたうち回った。紅蓮の炎蛇を力任せに振りほどいた赤目の妖が、その様子に驚いて後退する。ひっきりなしに響く苦鳴。物の怪が舐めた時と同じ、いや、それ以上に酷い光景だった。
昌浩は手心など加えなかった。血塗れの手で独鈷印を結ぶや否や、火界呪を口にする。
「ノウマクサラバタタギャテイビャクサラバ、ボッケイビャクサラバタタラタセンダ、マカロシャダケンギャキギャキサラバビキンナンウンタラタ、カンマン!」
不動明王の炎が青目を取り囲み、一瞬にして呆気なく灰燼と成す。骨も残さなかった。赤目の妖が悲痛な声を上げ、血走った目で紅蓮と昌浩を睨みつける。
「貴様ら……!」
淀んで重苦しい、狂気に支配された声。妖は全身を震わせると、体表の黒い粘液を撒き散らした。いくつかは昌浩たちのほうへ飛んでくるが紅蓮が炎を出して燃やしてしまう。昌浩は刀印を組み、九字を切り始めた。呪を唱える間無防備になる昌浩を背にし、紅蓮はさらに炎を燃やした。
赤目が地を駆け、紅蓮へと突っこんでくる。同時に飛び散った粘液が蠢き、霜が張るように高速で伸びた。地面を這う触手が先に紅蓮の足指に触れようとする――直前、紅蓮はにやりと嘲笑い、掲げた炎を地面に叩きつけた。
黒い触手が枯れ草のように焼け落ちていく。それを見ながら、昌浩は接近する妖に転法輪印を結んだ。
「緩くともよもや許さず縛り縄、不動の心あるに限らん」
不動金縛りの法が発動する。
雷が落ちたような音が響き、妖が全身を硬直させ倒れた。指先ひとつ動かすことのできない最強格の霊縛法である。もう妖に逃げ場はどこにもない。
紅蓮が煉獄の炎を召喚し、赤目に向けた。
「安倍の一族を襲ったのは貴様らだな」
赤目がぎらぎらと憎悪に染まった眼差しを二人に向けてくる。辛うじて動く口をなんとか動かして、妖は是と答えた。
「凶将騰蛇め……安倍氏の生き残りめ。呪われてしまえ」
「生憎、村人を操って襲わせるような卑劣な者に呪われるような身ではない」
「――操る?」
妖が引きつった声を上げた。喘息の発作のような声。哂われているのだと気づくのには、少々時間を要した。「操る? 俺たちが? ハハハ、安倍晴明の孫も最強の凶将もこの程度が! なんと愚かな!」
「どういう意味だ、」
気色ばんだ昌浩が尋ねるが、妖は壊れたように笑うばかりだ。紅蓮が足を焼いても変わらない。散々笑って、笑って、笑い尽きて、妖は楽しそうに昌浩を見やった。
「邪魔な安倍氏め。お前に呪詛をかけてやろう。お前はもう、人の輪には戻れぬぞ」
「………っ」
「貴様……!」
紅蓮が金の瞳を赤く染めた。手のひらの赤い炎が青を経て白銀に変化する。蛇が龍へと変貌する。一瞬で妖を丸呑みにした龍の腹の中で、妖の大きな体躯が消し炭となった。一連の様を焼き付けるように目を見開いて、昌浩は拳を握っていた。
赤目の妖の言葉にはなんの言霊も篭っていなかった。呪詛はかけられていない。なのに、不安で不安でたまらなかった。
――違和感がある。妖の残した言葉。妖の行動。
二匹の妖は影を操り、影を渡っていた。
彼らは、影だけを操っていた。
昌浩は息を呑んで立ち竦んだ。まさか、という思いが胸を席巻する。だが――だがしかし、もしそうだとしたら。前提条件が、まるっきり違っていたとしたら。
指の痛みも何もかもが遠くに去っていく。からからの声で、昌浩は唯一縋れる存在を呼んだ。
「……紅蓮、」
「なんだ」
紅蓮は気づいていない。……彼に、説明しなければならない。
なんという拷問だろう。
「村に、行こう」
黄昏時。
村の田んぼの畦道を、一人の青年が歩いていた。夕日に照らされてなお、その顔色は酷く悪い。死臭の染みついた着物を気にするように時々嗅ぎながら、彼は自分の家へ急いでいた。その視界に、長い影法師が映る。顔を上げると、――村人たちが今最も恐れている人間が、道を阻んで立っていた。
安倍昌浩。
この村に住まっていた妖祓いの、最後の一人。
青年は嫌悪感に顔を歪めた。妖を祓うなどと言って、裏では外法に手を染めていた一族。その生き残りだ。人を何人も殺して、平然な顔をしている最低の連中。
「お前……っ」
「あなただったんですね」
まだ幼いその少年は青年を見据えたまま視線を外さない。真っ黒な瞳が印象的だった。足元に犬なのか猫なのかわからない、珍妙な生き物を連れている。きっと妖に違いない。
ここでこの少年を殺さなくては。そうしなければ、村は呪法によって殺戮される。
使命感が青年の背を押した。彼は両腕を伸ばした――少年を殺そうとして。
細い頚にその腕が届く――その寸前、彼の思考は急速にほつれ、無為に溶けていった。
唱えた浄化の真言により、青年の体からねばねばした澱のようなものが飛び散った。地面に触れる前に、澱は透けて消えていく。目の前には音を立てて死体が転がった。青年だった、ものだ。
その顔や体のところどころは腐り落ちて欠損していた。先ほどの澱が欠損部分に擬態し、彼を操っていたのだろう。――人に取り憑き、悪意を増幅させ、周囲の人間の精神を微弱ながら操る低級の妖が。知能も意思も何もない、不定形の菌のような妖が。
昼間、山中の墓穴前で安倍家の仕業だと声高に叫んでいた青年。昌浩はその腐った顔を見下ろしながら思い出していた。彼は、以前安倍家に秘め事の相談を持ちかけ、すげなく断られた男だった。
諭されてから反省して、笑顔を浮かべながら、「自分が悪かった、間違っていた」と昌浩たちに謝っていたのに。
心の中ではずっと、安倍の一族を恨んでいたのだろうか。
「蟻の一穴、か……」
自嘲気味に、昌浩は笑んだ。真相が暴かれてみれば、なんともやるせない真実が現れたものだ。
顔を上げ辺りを見回すと、村人たちが遠巻きに、おそるおそる昌浩を監視していた。
死んでいる青年。
白い異形。
その傍らに立っている昌浩に恐怖している。
友人だった子どもも、挨拶してくれた隣人も、誰もが。
「……行こう、もっくん」
昌浩は物の怪を呼ぶと、死体を置いてゆっくりと歩きだした。
視線が痛い。誰もが昌浩を見ている。青年と同じ目で、嫌悪を込めて。
図らずも、赤目の妖の呪詛は叶ったのかもしれない。
「……じい様は、気づいてたのかな」
ぽつりと呟いた。物の怪が昌浩を見上げる。
「あの妖にか? ……晴明なら、気づきそうなもんだがな……」
「ううん、そうじゃなくて」かぶりを振った。物の怪はきょとんとして、昌浩を見上げたまま首を傾げた。
「人の、憎悪に」
一族を殺したのは、妖ではなかった。人だった。
澱の妖に思考能力はない。あれはあくまで悪意を増幅させるだけの妖だ。つまり、この村の人々は安倍氏に対して多かれ少なかれ恐怖を抱いていた、ということになる。
全てはたったひとつの恨みから始まった。恨みが怯えを敵愾心に変え、拒絶と排斥に繋げた。ただしきっかけは妖でも、滅ぼしたのは人だ。
たぶん、祖父晴明は徒人の怯えに気づいていたのだろう。だから少しずつ力を落としたり、別の地に移り住む準備をしていたのだ。うまく行けば、別天地で人々を怯えさせることなく安倍氏は人を助けていただろう。ただ現実には――運命が悪かっただけで。
完璧に思えた祖父でも、失敗はするのだ。
「なあ、昌浩」
「ん?」
物の怪が一息に昌浩の肩に飛び乗る。なぜか重さはまったく感じない。
「お前、これからどうするんだ」
気遣わしげな響きだった。でも、昌浩は笑って答えることができた。
人間に絶望はしていない。嫌いでもない。人間が素晴らしい生き物だってことは知っている。けれど大勢の前に顔を出すことは、当分遠慮したかった。静かな場所で早く休みたかった。
約束を果たしてやりたかった。
「言っただろ。《百年》やるんだって」
百数十年のうち、その地に伝説が起こる。
歳若い流れの陰陽師。不思議なことに彼は年を取らず、永遠の時を生きる。
困った者には分け隔てなく手を差し伸べ、邪悪な妖がいれば滅ぼしていく。
その傍らには必ず白い異形か赤い鬼が控え、それを伴に、彼は此岸を旅していくのだそうだ。