PROSERPINA

セルフ・ハーム

「皆城総士の遺した研究を、再開させたいんです」
 帰島して数週間後のことだった。俺は父さんに呼ばれて、アルヴィス内部でアルベリヒド機関の研究者に引き合わされた。俺より幾ばくか年上の、まだ若い男性。昔総士に昼飯を届ける時に顔を合わせたり、少し喋ったことのある人だった。
「総士の、研究」
「はい。彼はずっと、自らの身体が同化現象の治療に役立てられないか、研究していました。ご存知でしたか」
「少しは」
 一度こちらに戻ってきた彼は、フェストゥムと同じ珪素で構成された身体だった。現在でこそ俺達のような存在は「エレメント」と呼ばれているが、あの頃はまだそんな名称もなかった。
 その身体を使って自分自身で実験を繰り返していた姿が、昨日のように思い返すことができる。結局研究はにっちもさっちも行かなくなって、最終的にあいつはマークニヒトの解体実験にシフトしていたけど。
「エレメントの研究をさらに推し進めたいんです。あの時彼は断念していましたが、今なら新しいステージに辿り着けるかもしれない。そのために、あなたにご協力いただけないでしょうか」
 ――心を感じる。使命と信念。アルベリヒド機関に属する人達が多かれ少なかれ持っているもの。
 この人は焦っている。この平和がひとときのものでしかないことに。島を守る美羽ちゃんと総士が同化現象に襲われてもすぐに治療できるようにしたいのに、主任研究員だった千鶴さんがいないことに。
 コアに予言された新たなフェストゥムが島を襲う前に、データが欲しいのだ。
 俺にとっては願ってもない申し出だった。
「いいですよ」
「一騎」
 俺は二つ返事で了承した。隣の父さんが気遣わしげな心を向けてくる。大丈夫、という意味を込めて微笑んでみせた。目の前の彼は、まだ説明が終わってないのに、と困った顔をしている。
「……研究を進めるに当たって、あなたにお願いしたいのは、生体組織のサンプル採取、開発した薬の臨床試験になります」
「はい」
「慎重を期しますが、リスクは伴います。投与した薬の副作用で身体に影響が出る可能性があります」
 そこから長々とタブレットを使用しての解説が始まった。喉の痛み、目眩、立ち眩み、発疹、発熱、生理不順、不正出血、血液の凝固不全、幻覚、幻聴、合併症の発生のリスク。精神的な変化が現れる可能性があること。サンプル採取の方法。実験の際には主治医である剣司も立ち会うこと。引き受けた場合の今後のスケジュール。
 いずれにせよ、俺の心は決まっていた。幸い、今は昔のように子育てに追われている訳ではないので時間に余裕がある。〈楽園〉は現在不定期営業だし、シフトについては後で甲洋に掛け合おう。
 承諾書にサインを書いたのは、説明が終わってすぐのことだった。父さんは俺を止めることはなかったけど、帰ってから「やめる気になったらすぐに言え」とだけ伝えてきた。不器用な優しさが、嬉しかった。

 数日後、約束通り生体組織のサンプル採取に協力した。痛みには強いほうだから、と自分から申し出て、一気に複数箇所から取ってもらった。俺が島に滞在するのは限られた期間なのだから、時間を無駄にするわけにはいかない。
 局所麻酔をあちこち打たれて、細い針を刺されたりメスで切り開かれたりしたが、戦闘時の痛みに比べればどうということはなかった。処置をしてくれた彼が気を使ってくれたのかもしれない。終わってしまえば、体の疲労よりも精神的な気疲れのほうが強かった。
 総士は自分のやっていた研究について詳細を話すことはなかったが、「特殊すぎて役立たなかった」と言っていた。彼もこんなことをしていたんだろうか。将来俺が協力することを知っていたら、どう思ったろう。やっぱり怒っただろうか。
 でもお前はとっくに地平線の向こうだし、俺がお前のところに辿り着くのは長い旅路の果てなのだから、少しは大目に見てほしい。これは同期や後輩の治療のためにもなるし、もしかしたら外でコアが長生きする助けにもなるかもしれない。美羽ちゃんやあの子が同化現象に襲われることを防ぐことだってできるかもしれないのだから。
 そんなことを考えながら廊下のウォーターサーバーで鎮痛剤を飲んで休憩していたら、珍しく小さな総士に出くわした。定期診断とワクチン接種でアルヴィスに訪れていたらしい。――あの島にはほとんど人間がいなかったから、最後まで打てなかったワクチンの伝染病にかかることもなく済んだようだけど、今彼がいるのは竜宮島だ。打たないわけにはいかない。
 結局彼を養育していたフェストゥム達やマリスとは、ろくに話もできないまま別れることになってしまった。総士を殺さずにいてくれたことへの感謝と、総士を優しい子に育ててくれたことへの感謝をしたかったのに。彼らの仲間を大勢消した自分は憎まれているだろうけど、いつの日か顔を合わせてきちんと言葉で伝えたい。
 できれば、その時は小さな総士も一緒にいてほしいな。

 他愛のない会話を総士と交わしていたけど、剣司が来たのでその貴重な時間は終わりを告げた。次は新型の拮抗薬の投薬治験だ。わざと同化現象が進行した状態を作り出す必要がある。若干の身体的負担がかかると言われているが、まあ多分大丈夫だろう。
「吐き気は?」
「ないよ。平気だって」
 剣司は今日、ずっと気遣わしげに俺に声をかけてくる。俺があまりにものんきに見えるのかもしれない。そんなつもりはないのだけれど。
「実験前にも言ったが、今飲んでるフィードバック抑制の薬と相性が悪い可能性もあるから、異常があったらすぐに言えよ」
「ん」
 今俺が主に飲んでいるのは、機体のノイズからくるフラッシュバックの抑制剤ではない。同化して無に還したフェストゥムの感情や記憶を、「真壁一騎」という人間に混ざらないようにするためのフィードバック抑制剤だった。食事も睡眠も取らずに活動できるようになった今でも、量こそ減ったが抑制剤は欠かすことができない。
 飲まないと自分が誰なのか、何なのか、わからなくなりそうになる。それは"いなくなる"ことと同義だ。俺という個が、存在が、いなくなるということ。どんなに覚悟したつもりでも、平気なつもりでも、涙が出るくらい怖くて、悲しいこと。
 俺はまだ、ここにいたかった。あの子がいる世界に。

◆◆◆

 ランチ営業の終わった〈楽園〉でテーブルを拭いていたら、急に目眩に襲われた。成人する前、同化現象でぼろぼろになっていた時と同じ感覚だ。直前までなんともなかったのに、急にぐらぐらと視界が回っている。
「……ごめん」
「謝るなよ」
 甲洋がすぐに支えてくれて難は逃れたけど、立っていられず、とても歩けそうにない。
 体重を預けるばかりの俺にため息をつくと、甲洋は俺を軽々と抱えて2階に連れて行った。甲洋の自室だ。ベッドに寝かせられたので、大人しく横になる。喋ろうとしたが、吐きそうな気がして口を噤んだ。
「俺が連絡してくる」
 体調に異変があった場合は剣司に連絡することになっている。甲洋も承知済みだ。一旦階下に下りた甲洋が店の電話で連絡する気配を感じながら、俺は手探りで枕元の体温計を掴み、脇の下に挟んだ。
 間もなく、甲洋がドアを開けて姿を見せた。タイミングよく鳴った体温計を俺から受け取って確認してくれる。
「37.2℃だって」
「……ん」
「剣司が来る前に脈と血圧測るよ。上着脱がすから」
 上体を起こされてエプロンとトップスを脱がされる。暖房の入っていない空気に晒されて少し寒かったが、恥ずかしさは微塵も感じなかった。甲洋も顔色一つ変えやしない。二人で旅を続けている時、互いに薄着になる機会はいくらでもあったので慣れてしまったのだ。
 体調が急変した時に備えて用意してあった上腕式の血圧計を腕に巻いてくれながら、甲洋が呆れたように呟いた。
「……あんまり自分をいじめるの、やめろよ」
(いじめてないって)
「傍からだとそう見えるんだよ」
(ふうん……)
 そんなことないのに。
 喋れないので思考を伝えながら、俺は右腕を宙に翳した。かつてあったはずの指輪の痕はもうどこにもない。
(総士がくれた未来だから、死ぬつもりはないよ)
「……そう」
(心配してくれて、ありがとな、甲洋)
 カラン、と遠くでドアベルの音がした。ぎしぎしと重たい足音が近づいて、部屋に剣司が飛び込んでくる。
「一騎、甲洋」
「15時11分に急に目眩が発生。それまでは異常なし。体温37.2℃、脈拍92、血圧89と52。若干の吐き気あり」
「了解。……一騎、立てるか?」
「……無理かも」
 喋ると頭痛がした。息が浅くなって、何回も呼吸してしまう。こんなにしんどいのは久しぶりだった。
「頭痛もするって」
「よし、メディカルルームへ行こう」
「俺が運ぶよ」
「悪い、頼む」
 血圧計を外されて、ブラとキャミソール一枚だった上半身にまた服を着せてもらう。剣司は医者とはいえ同級生なので、こんな姿を見せるのは少しばつが悪い。咲良ごめん。
 ぐったりと甲洋におぶさると、昔似たようなことがあったのを思い出した。営業中にぶっ倒れた俺を、総士が同じようにおぶってアルヴィスまで連れて行ってくれたのだ。
 甲洋の背中の感触は総士と違って、広くて大きい。でも、ちょっと似ている。
 ――遠く、胸が痛んだような気がした。
(………)
 甲洋が今度こそ呆れた気配を感じる。自分で自分をいじめてるつもりはなかったけど、これは結果的にそういうことになっているんだろうか。
 でも久しぶりに体調というものを崩して、少しだけ安心する。……まだ自分が人間なのだと思い知ったような気がして。

 海神島で小さな総士を育てていた頃は、まだ食事も睡眠も取っていた。というか、取らなくても問題ないことに気づいていなかった。
 気づいたのは、奪われた総士を探してファフナーで世界中を飛び回っている時だった。血眼になって乗り続けるうち、ふと自分がもう何日も食べていないことや寝ていないことに気づいた。空腹も、眠気も、何もなかった。
 食事が必ずしも必要ではなかったのだ、と知った瞬間は、ショックだった……と、思う。自分は美味しい食事が好きだったから。
 でもその頃には悲しいと思う心すら残されていなかった。
 味覚はあるし、食べようと思えば食べれる。髪や爪は伸びるから代謝しているし、呼吸だってしている。では何も食べずにどうやって命を得ているのかというと、どうもファフナーと同じで空気中の塵などを同化してエネルギーに換えているらしい。
 食事をしないから排泄も無くなったし、総士がいなくなってから性欲を感じることもない。夜は長いから必要のない時は意識して活動を停止するようにしたが、それは紛い物の眠りで、普通の眠りではない。
 人間のいわゆる三大欲求を失って、俺は総士を探しながらよく自問していた。

 ――俺はフェストゥムか? 人間か? 俺が俺のまま違う存在になっていくことを受け入れながら、それでもここにいることを望む俺は、まだ人間なんだろうか。

 それでも、過去の選択を後悔するつもりはなかった。心をすり減らして何も感じなくなっても、俺は俺の祝福をするだけ。あの時の約束をただ果たすために、あの子達を未来へ導くだけ。
 ずっとそう思っていた。あの子に否定されるまでは。
 美羽ちゃんの祝福で世界中にアルタイルの欠片が降り注いだあの日。すり切れた心が少し元に戻って、色彩を綺麗だと感じられるようになった。あの子に渡すはずだった命を抱えて途方に暮れていたけど、あいつが――総士が、どうしても俺を生かしたいのだとわかってからは、少し生きるのが楽になった。
 昔も今も、俺はできることをやる。
 でも、やれることを少しずつ増やしていきたい。
 島の外に出て、見聞きしたことを持ち帰りたい。島にいる時は、あの子や俺の大切な人達を守りたい。
 必要であれば、敵味方関係なく痛みを癒やしたい。

 そうして生きて、生きて、生き抜いて、その先でお前に出会う日をいつだって夢見ている。お前に笑って思い出を話せる日を楽しみにしている。
 俺はまだここにいる。ここにいて、お前を待っている。