荒野に手向ける花も無し

 ざくざくと、土を掘り返す音がする。

 気がつけば、騰蛇は異界によく似た荒涼とした世界でひとり、ぽつねんと立っていた。異界そのものかとも思ったが薄暗いはずの空は真っ赤に染まっている。見慣れたあの世界とこの場所は別物であるという声高な主張が聞こえるようだった。草木の生えていない大地は太陽のない夕焼けの色を映している。視界が朱色に塗り潰され、騰蛇は不機嫌を隠すこともなく舌打ちした。――赤は嫌いだ。
 どこもかしこも夕焼け色に染まっている世界が忌々しい。目を逸らそうにも逸らす場所がない。晴明、と主の名を二度三度と呼んだが、返る声はない。彼の気配も感じられない。苛々して辺りをぐるりと見回した。と、少し離れた所で黒い何かがうずくまっているのを見つけ、騰蛇は少々ぎょっとした。生き物の気配を周囲から微塵も感じ取っていなかったからだ。
 それからは地面を引っ掻くようなざりざりとした音が規則的に聞こえてくる。無意識に足を進めかけ、不用意に近づかないほうがいいかと思い少し躊躇った。が、僅かな逡巡の後、騰蛇は好奇心に押されてそれに近づいていった。
 近くに寄れば、どうやらそれは漆黒の狩衣に身を包む、小柄な人間であるようだった。背後に立ち、どうやら地面を掘っているらしいその人物を見下ろしてみる。人間は騰蛇がいることを知ってか知らずか、ただ黙々と木片を振るい穴を掘り続けている。掻き出された土はまだ僅かで、幼い子供が土いじりをしているような、そんな錯覚に囚われた。
 どのくらい二人でそうしていたのだろうか。四半刻かもしれないし、三刻は優に経っていたのかも知れなかった。時間の流れが曖昧になるのは、異界もこの不可思議な空間もそう変わりはないようだった。
 だが戯れに騰蛇が声をかけると、それは難なく振り返って彼を見上げてきた。
 彼はまだ幼いとも言っていいような、子供だった。闇を塗りこめたような黒瞳が、赤みを帯びた光を弾いている。この年の子供なら十中八九騰蛇を恐れるだろうに、彼はそんなものを微塵も見せず、ただ、じっと騰蛇を見つめていた。
 騰蛇はといえば、こんな間近で子供に接したことなどないに等しい。振り返られた時はきびすを返そうかとも考えたが、茜色に染まったその子供の頬は美しかった。どうしてか、視線を外そうという気すら起こらない。子供も臆することなく目を逸らさず、やがて、

「お前、」
「なに」
「なにをしてるんだ」
「穴を掘ってる」
「なんの」

 問われた子供は握った木片を持ち上げて見せた。

「墓穴だよ」
「……墓?」
「うん」

 こともなげに子供は答えた。

「俺の墓だよ」

 言って、子供はまた土を掻いた。
 騰蛇は言葉を失って、その小さな背中を凝視していた。淡々と、子供は地面を掘り進めていく。気がつけば穴はだいぶ大きくなって、赤ん坊が埋められそうなほどの深さになっていた。 子供はようやく一息つくと、今まで握り締め地面を掻いていた木片をそっと穴の底に置いた。それから穴の側に積み上げられていた土塊を、手が汚れるのも構わずに掴み、穴に落としていく。しばらくもしないうちに穴は元通り塞がって、掘り返された跡と僅かに盛り上がった地面だけが、そこにさっきまで空いていた穴を示す痕跡となった。

「それでいいのか」 「うん」

 騰蛇の問いに子供は怯えることなく頷いた。

「俺はもうすぐ跡形もなく消えてしまうから」

 子供は軽く眉をひそめた騰蛇を見上げ、初めて笑った。優しげな笑みだったがどことなく切なげだった。騰蛇が押し黙っていると、子供はそっと手を伸ばす。騰蛇の鋭い爪に柔らかな指先が触れる。後退りたかったのに、何故かその手を振り払うことはできなかった。
 あたたかな温もりが騰蛇の指を包む。子供は小さな両手で騰蛇の手を握り締め、微笑んだ。

「もう一回会えるといいな」
「……なんだと?」
「なんでもない。ただの我侭だよ」

 言うが早いか、子供はぱっと手を離し身を翻した。おもわず手を伸ばした騰蛇の爪の先を黒の衣が掠めていく。先程の体温は風に吹かれてあっという間に冷め、同じように小さな背中も風に吹かれて消えてしまった。

 騰蛇は真っ赤な世界の直中で、黒を求めて見はるかした。指にはもう何の感触も残ってはいない。彼の記憶に残っているのは、蜃気楼のような微笑だけだった。