観察日記

○月×日

人が書きつける日記というものを書いてみようとふと思い立った。思い立ったが吉日というし、早速筆や墨、紙を借りた。ところで日記というものはその日あったことを書き連ねるもののようだ。なんともはや、忙しいことだ。私たちにとって一日などあっという間に過ぎてしまうものなのに。だが最近は人界に出ることも多いし、書くことに困るというのはないだろう。なんといっても、あの主がいるからな。さて、今日はこれくらいにしておこうか。

○月△日

久しぶりに顔を合わせた青龍は、いつもどおり不機嫌そうな面をしていた。まあ昔からだから今更、という気がしないでもない。だがここ最近……そう、ちょうど晴明が主になってからか。奴の渋面にはさらに磨きがかかっているようだ。天后は時々困って私に泣きながら愚痴ってくる。ふたりきりでいる時ぐらい眉間の皺を消してもよさそうなものを……おのれ青龍。書いていたら怒りがぶり返してきた。後でこっそり足の小指でも踏んでおくか。いや生ぬるい……いっそのことあれを一旦殺してしまえば新しい青龍が生まれてくるし、性格も違うだろうから、騰蛇との関係も改善されるのではなかろうか。奴は常々「騰蛇を殺す」などとほざいているが、発想の逆転だ、あちらを消してもいいかもしれない。そうだそうしよう。
ところで今日の青龍はいつにもまして皺を寄せながら、騰蛇と昌浩を柱の影からこっそり覗いていた。あいつはいったい何がしたいのか……視線の方向も非常に気になる。果たして騰蛇に向いていたのか昌浩に向いていたのか。奴の昌浩への好意は人間の子供のやり方とそっくりだと思う。回りくどい上に真意がちっとも伝わらない………性分なのだろうか。難儀な奴だ。

○月○日

今日は玄武が晴明と碁を打っていた。晴明はどうやらだいぶ暇だったらしく、しきりに「暇だのう…」と呟いていた。碁を打たれながら何度か言われたせいで、玄武も少々気を害したらしい。二十三回言われたところでちょうど乱入してきた太陰に、文句を言うこともなく連れていかれた。晴明につき合うのも大変だが、太陰につき合うのも大変だろうに。だが今のところ太陰が白虎に説教を喰らっているという話も聞かないし、あまり災難は起こしていないようだ。
ひとり取り残された晴明は六合を連れてふらふらと釣りに出かけたらしい。夕暮れ時に帰ってきたら、何尾か川魚をぶら下げていた。だがあの表情からして釣ったのはおそらく六合だろう。隠形していたから昌浩たちは気づかなかったようだが、六合は珍しくげんなりとした様子だった。大方、器用な六合が隣でひょいひょいと釣るので晴明が恨めしく文句をぶちぶちと言ったのだろう。入れ食いの呪文というのはないのだろうか。あれば釣りが下手な晴明でも面白いように釣れるのだろうに……。ああ、陰陽道にそんなものはないのだろうな、きっと。

○月☆日

今日は昌浩の護衛で大内裏に行った。近頃は特にこれといった心配事もないから夜警の回数も減ったので、昌浩も昼間に眠くなることもなく真面目に仕事をやっつけていた。異形姿の騰蛇はというと、走り回る昌浩の肩に乗ったり、後をちょろちょろとついてまわったり、机仕事をする昌浩の傍らで丸くなってすかすかと気持ちよさそうに昼寝をしたりしていた。ああ、それと陰陽生の敏次がくると途端に毛を逆立てて威嚇していた。ふーふーと息を漏らしながら敏次の周りをぐるぐると回る様子は、まるでさかりのついた猫のようだった。しかしあれだ、本当に騰蛇はただ敏次を嫌っているだけなのだろうか? どうも私にはそうは見えない。……敏次には昌浩に対する下心のようなものは感じられないのだから、杞憂にすぎないと思うのだが。騰蛇よ、つまりお前はただ単純に嫉妬しているだけということなのか……?

◆◇◆◇◆

「あ、勾陳。珍しいね、一人のときに顕現してるなんて」

 勾陳が顔を上げると、向こうの渡殿からとてとてと昌浩が歩いてくるところだった。勾陳は料紙に滑らせていた筆を止め、いったん筆置きに下ろす。その間に昌浩は隣にやってくると、すとんと座りこんだ。ちなみに勾陳が書きつけていた場所は庭に面した簀子である。本来なら物を書く場所ではない。

「筆やら何やら借りてしまって、すまなかったな」
「いいって。勾陳には日頃から何かとお世話になってるしさ」

 恩返しだよ、と微笑んで、昌浩は勾陳の持っていた紙の束に目を向けた。ことん、と首を傾げる。

「何書いてるの?」
「日記だ」
「へえー………」

 昌浩は感心してまじまじと紙を見つめた。神様の日記。……おそらくこの世界でひとつしかなかろう。

「お前も書いてみたらどうだ? 存外に面白いぞ」
「ええ? む、無理だよー、そんな暇ないもん。三日坊主だって」

 ぶんぶんと横に手を振ると、勾陳は少し残念そうな顔をした。だが本当のことだから仕方がない。……もしかしたら三日ももたないかもしれないし。
 十分ありえる自分の所業を思ってため息をつく。対して勾陳は筆の穂ではないほうを顎に当てながら、何やら思案していた。日記を睨みつけながら、神経質そうに筆をとんとんと叩く。不思議に思って、昌浩はその横顔に聞いた。

「どうかしたの?」
「いや。ただ――日記といいつつ、我ながら己の身に起きたことを書かずに、他の皆のことばかり書いているのでな」
「他って……俺たちや、十二神将?」
「ああ。よくこちらに出ているやつらはあらかた書いてしまっているな……」
「紅蓮とか、六合とか、玄武とか、朱雀とかか」
「いや。朱雀と天一は書いていないな」

 昌浩がきょとんとする。なんで? と顔に書いている疑問に、気が乗らないつつも勾陳は答えてやった。

「あの二人はいつも大体変わらない。年中ああだからな」

 要するに、書きがいがないのだ。
 そして何百年間ああなのだろう二人を見ていれば、確かに書く気も失せるのだろうなあ……と、昌浩は納得して、もしあの二人が日記を書くことになったら、毎日毎日同じ内容が続くのではなかろうかと嫌な想像をしてしまい、勾陳と二人、長いため息をついた。