「……寒い」
太陽もまだ昇らない冬の夜明け前。暗い大路の真ん中を、小柄な少年と徒人には見えない白い影が駆けていく。吐く息は、白い。
「なんだなんだ、着込んでるんじゃなかったのか?」
「そうだけど、やっぱり、首元が空いてるとどうにも……」
烏帽子をかぶった直衣姿の昌浩は、傍らを同じように走る物の怪にそう零した。羨ましそうにその白い毛皮を眺める。物の怪は夕焼けの瞳をきらめかせると、さりげなく、昌浩から僅かに離れた。けれども昌浩は目ざとくそれを察し、物の怪の首をむんずと掴むと、問答無用で己の首周りに巻きつける。あっという間、まさに手馴れた技であった。
「俺はものか」
「いいじゃん、減るもんでもなし」
「そういう問題か! 本人の意向を無視すんな!」
がおうと吠え立てられて、昌浩は駆け足を緩めた。着込んでいる身体は暖かい。さらに毛皮を首に巻いたおかげで防寒はばっちりである。早めに暖まりたくて参内を急いでいたのだが、すこしくらい歩いても大丈夫そうだ。
「もっくん、うるさいよ。耳聞こえなくなったらどうすんのさ」
「昌浩、お前最近冷たい! 小さな生き物に対する憐れみがない! いつからそんなんになっちまったんだ、俺は悲しいぞー!」
「どこが小さいんだか……」
物の怪の本性であるところの紅蓮の長身を思い返して、昌浩はため息をついた。なおもぎゃあぎゃあと喚く物の怪にいい加減うんざりして、頬を膨らます。
「じゃあもういい。こんどから六合に頼む」
「は……? 何を?」
「もっくんの代わりに六合の長布貸してもらうね」
もっくん、さよならー。
お役御免とばかりに微笑まれて、物の怪は絶句した。やがて丸く見開かれた瞳から、ほとほとと大粒の涙が零れ落ちる。昌浩がぎょっとして立ち止まると、物の怪はその白く長い尻尾で、思いっきり昌浩の顔をべちんとはたいた。
「ぶっ……?!」
「昌浩、お前……! 俺の身体だけが目当てだったんだな? そうだったんだな!」
「も、もっくん何いきなり」
身体だけが目当てって、嫌な言い方。
物の怪はまだ明けやらむ東の空に向かってうぉううぉうと吼えている。昌浩ははたかれた鼻の頭を撫でていたが、目を閉じると、物の怪を肩から引っぺがして胸に抱いた。
「俺、もっくんが肩に乗ってくれるの嬉しいよ」
一瞬目を見張った物の怪は、ぎゅっと直衣の胸元を掴んだ。
「……い、今更よりを戻そうったってそうはいかないからな」
昌浩は物の怪を抱く腕に、僅かに力をこめた。指で触れる白い毛皮は、あたたかくてふわふわとしていて、いつ触っても気持ちよかった。
「肩に乗るのって、すごく距離が近くなるから好き。でもさ、やっぱり、もっと距離が近いと、もっと嬉しいから……」
昌浩はそこで言葉を切ると、顔を赤らめた。目の前には物の怪の白い頭。恥ずかしいことを言ってしまった、と息をついてから、意を決して、ちょんと物の怪の額の模様に口付けた。
「だから。……ほんとは、もっくんじゃなきゃ、やだよ」
物の怪にしか聞こえないような小ささで、そう告げた。
しばらく、ふたり沈黙を保つ。そろそろ走っていたときの汗が冷えてきた、と昌浩が思った頃、腕の中の物の怪がするりと抜け出して、自分から首に巻きついた。
「……え?」
「……なんだよ、参内の刻限に遅れるだろ」
今度は近すぎて、物の怪の表情が見えない。見えないけれど、昌浩は頬を染めた。
「もっくんのせいで冷えちゃったや」
「俺のせいかよ!」
今日もふたり、同じ道を歩く。