冬にしては暖かで、うららかな昼下がりである。
物忌み二日目の昌浩は、自室の前の簀子に座り込み、のんびりと日光浴をしていた。いつも傍にいる白い物の怪はいない。
と、昌浩の視界に金の光がきらめく。おやと思った昌浩が目を凝らせば、太陽の光に美しく髪を透かした天一が、ふわりと衣の裾をなびかせ腰を屈めていた。たおやかな繊手の先にあるのは一輪の、花。
そして天一の背後にもう一つ気配を見つけ、昌浩は首を傾げた。
おそらく、この展開からすると。
予想に違わず顕現してきたのは、炎の色を髪に映した、紅蓮とは違うもう一人の火将だった。
「どうした、天貴」
「朱雀」
にっこりと微笑むと、天一は花を指した。菫色の小さく可愛らしい花である。
「まだ冷たい季節なのに、この陽気で咲いてしまったみたいで……」
「そんな小さな命まで気にかけるとは、天貴は優しいな」
「ふふ、そうかしら」
「枯れるのが嫌だと言って移し身はしないでくれよ」
「朱雀、貴方を悲しませたりしないってわかってるでしょう?」
「俺はいつでもお前の身が心配なだけさ」
「朱雀……」
よくもまあ花ひとつからここまで話が派生するものだ。
目の前で繰り広げられる光景にしばし呆然としていた昌浩は、きしきしと簀子が軋む音が近づいてくるのを認め、はっと振り返る。振り返りきる前に、咄嗟に声を出していた。
「もっく……って、なんだ、玄武か」
「なんだとはなんだ。失礼だぞ」
「あはは、ごめんごめん」
昌浩より見た目の小さな玄武は、そのまますとんと昌浩の隣に腰を下ろす。昌浩ははて、と疑問に思い、玄武に聞いた。
「今日は太陰と一緒じゃないんだ」
「我とあれがいつも一緒にいなくてはならぬという理などない」
「あー、うん。そうだよね」
でも仲いいでしょ、と聞き返され、玄武は唸り声を出した。仲がいい。仲がいいとはどういう事だ。太陰とは只の腐れ縁である。それにあのじゃじゃ馬娘が勝手にこちらへちょっかいを出してくるだけなのに、仲がいいとは。
玄武はいまだいちゃつきあっている天一と朱雀をちらりと見ると、己より僅かに目線が高い昌浩を見上げた。
「お前こそ、騰蛇はどうした」
「……一緒にいなくってもいいんでしょ」
途端頬を膨らませてそっぽを向く。実に分かりやすい。
(……喧嘩でもしたか)
おそらく当人達にとっては重要な問題なのだが、はたから見るとどうでもいいようなことが原因なのだろう。ここでうっかり深く聞いてしまうと、多分惚気られる。本人は惚気ではなく真剣に相談しているのだろうが、全く甚だ迷惑な話である。
玄武がひっそりとため息をつくと、隣の昌浩ががっくりと肩を落とした。ぼおっと庭の二人を眺め、裸足の先で土を掻く。
「朱雀と天一はいいなあ……」
「いいか?」
「羨ましい」
「………そうか?」
いささか重い調子で相槌を打つと、昌浩は肩を落としたまま、そうだよ、と漏らした。
「だって喧嘩なんてしなさそうなんだもん」
「………………」
やっぱり喧嘩か。
どうしてこう自分は貧乏くじを引き当ててしまうのだろうかと、一瞬本気で考える。太陰に振り回されるのもそうだし、朱雀に相談、もとい惚気られるのもそうだ。それに朱雀の相談の締めは必ず、『ま、お前にはわからないかもしれないがな』で終わる。わからないと思うなら相談するな。結局惚気たいだけなのだろう、と言ってやりたいが、言ったら朱雀はそうだ! と胸を張って宣言するに違いない。なんて男だ。
「絶対俺が悪いんじゃないのに」
むくれた昌浩がたまたま爪先に当たった小石をぴんと蹴飛ばす。自分が悪いときは相手に謝る昌浩が頑なに謝罪を拒否していた。玄武は愚痴になりそうな会話を察知して、どうにか昌浩の機嫌を取ろうと画策した。というか騰蛇、昌浩に一体何をした。
「……お前達を見ていると、」
「ん?」
顔を上げて昌浩が首を傾げる。その大きな瞳をじっと見つめてから、玄武はまだくっついている朱雀達を指し示した。
「あれと同じに見える」
「……ええ?」
昌浩が心底嫌そうな声を出して顔を引きつらせた。玄武はしかめつらしく昌浩を見やる。
「羨ましいのではなかったのか」
「いや、喧嘩しないのが羨ましいんだけど」
「それでも、やはりあれと同じに見えるぞ」
「うっそ……」
昌浩が絶句する。玄武は少し眉をひそめた。口下手なせいで、本来伝えたい言葉がちゃんと伝わらずにいる。苛立たしい。
何拍か間をおいてから、玄武は改めて切り出した。
「お前が謝らないということは、騰蛇が悪いのだろう」
きょとんとして昌浩は玄武を見つめた。
「そのうち謝りに来る。普段のお前達は口喧嘩はするが、仲はいいではないか。そう心配することではない」
「……ほんと?」
「あの騰蛇がお前を放っておけるわけが、ない」
きっぱりと断定して、玄武は立ち上がった。見上げていた昌浩を、今度は見下ろす形になる。髪を首の後ろで括っている頭を撫でると、昌浩がくすぐったそうに目を細めた。それを見て、玄武はぱちりと瞳を瞬く。
「……あまりお前に触っていると騰蛇に焼き殺されるな」
「焼き殺………?」
「では我は異界に帰る」
ぴたりと昌浩の頬に手を当て神妙な面持ちでそう告げたかと思うと、玄武はその姿を揺らめかせた。すぐに気配も後を追って消える。言葉どおり異界に帰ったらしい。残された昌浩は不思議そうに手のひらを当てられた頬に指を伸ばすと、まだ庭にいた朱雀達に視線を向けた。
安部邸は、そこだけ早い春だった。