夢駆ける獏

 耳元で、震える息づかいを感じている。

 息苦しさを覚えて目を覚ました昌浩は、薄暗い天井をぼんやりと見上げていた。梁のつくりだす濃い影のその向こう。なんとはなしにそれを見つめながら、彼は身じろぎをした。苦心して右腕を抜きだし、己に覆いかぶさって動かないたくましい体躯に触れる。固く抱きしめられた胸は深呼吸することすらままならない。浅く呼吸をくりかえし、背の端をなでる。
 それでも震えは消えず、昌浩の薄い背中に回された腕はますます力を強めて締めつけてくる。は、と吐息を漏らし、昌浩はようやく首を傾けた。

「……紅蓮?」

 かすれた囁きはほとんど音にならず、闇に融けて消えた。が、昌浩の肩口に沈んでいた濃色の髪がかすかに動く。ごく近い位置で覗いた金の瞳は、暗い中でもよく映えて昌浩の目に留まった。
 大袿の下で紅蓮の背をゆるゆるとなでながら、昌浩はもう一度尋ねた。

「どうした。……怖い夢でも見たのか」

 口に出すや否や、ぎゅうと力が込められる。身体が壊れそうな気がして息をつくが、力が抜けるような気配は微塵もない。震えが止まる気配もない。
 紅蓮は片目を覗かせたまま動かない。唯一動く頭を寄せると、潮の匂いが鼻をついた。唇でまなじりにそっと触れれば皮膚が湿る。昌浩は雫の落ちた先を求めて舌を動かした。瞼を閉じたまま頬の軌跡を辿っていく。と、身体の拘束が緩み、昌浩は大きく息を吸いこみながら目を開けた。

 暗闇の中で爛々と光る金色が天井を塞いでいる。解かれた腕の檻は、今は昌浩の左右に柱を立てていた。
 獣のように煌く瞳から、ぽたりと雫が落ちる。雫はやがてぱたぱたと音を立て、雨に変わった。胸の上に落ちるそれを感じながら、昌浩はただ紅蓮を見上げていた。[

 雨は止まない。

 昌浩は両の手を伸ばすと、紅蓮の頬に触れた。濡れた頬は冷え、昌浩の指先をも冷たく凍えさせてゆく。
 けれどそんなことには構いもせず、昌浩は呼んだ。

「――おいで」

 添えた手を軽く引きよせると、簡単に紅蓮の身体が落ちてくる。
 ゆっくりと合わせた唇からは潮の味がした。
 かすかな水音が耳の中を支配する。金冠の嵌まった紅蓮の頭を優しく抱きしめ舌を吸えば、強張っていた彼の身体がほぐされていくのが伝わってくる。

 ずいぶんと長い間そうして互いの唇を吸いあって、離れたころには二人とも息が切れていた。
 息を乱しながら触れれば、紅蓮の頬はもうすっかり乾いていた。いつものあたたかさを取り戻した肌をなでていると、同じように息の上がっている紅蓮がその手を取って舐める。くすぐったさに思わず笑みを零すと、紅蓮もかすかに笑った。それに満足し、昌浩はまた両手を伸ばすと、紅蓮の頭を胸に引きよせた。

「今だけ、家の結界を解いて」

 どくどくと響く心臓の音はしばらくの間止みそうにない。
 自身でそれを感じながら、昌浩は紅蓮を抱く腕に力を込めた。

「獏が来てくれたら、厭な夢全部食べてくれるのにね」

 そうして訪れるまどろみが、真の安息であればいい。